生成AIをどう教えてきたか——光都ICTクラブ、AI教育の現在地
生成AIをめぐるプログラミング現場の空気は、ここ数年でめまぐるしく変わりました。この記事は、光都ICTクラブが歩んできた、生成AIとの向き合い方の記録です。同時に、2026年9月時点での「現在地」の記録でもあります。
AIの状況も、わたしたち自身の考え方も、これからまだ変わっていくはずです。ですから、この記事を「完成した結論」として書くつもりはありません。現場で気づきがあるたびに、書き足していくつもりです。
学校・公民館・自治体・企業で出前授業をご検討の方には、「今この団体がどこまで実践知を積み上げているか」を判断する材料の一つとして読んでいただければ幸いです。特に第3章でご紹介する、兵庫県太子町との協働事例(SEになろうプロジェクト)は、実際の自治体案件にどこまで対応できるかを具体的に示す一例です。

出会いと戸惑いの季節

クラブ以前:ChatGPTとの最初の出会い(2022年12月〜2023年5月)
2022年11月30日、ChatGPT3.5が一般リリースされました。わたしはその直後、12月にはもう試していました。当時は文章を書く機会が多かったので、まずは記事のプロットを書かせてみたのを覚えています。しかし、正直なところ期待値には届きませんでした。
同じ頃、人物画像を生成するAIも試しています。こちらはもっとはっきりと「まだ使えない」という印象でした。手の指が6本で描画されたり、生成した人物がみんな同じ顔になったり。今では笑い話ですが、当時は「話題ではあるけれど、実務に組み込めるレベルではないな」というのが率直な感想でした。
クラブ発足後も続いた「情報提供→試行→落胆」(2023年5月〜2024年中頃)
2023年5月、光都ICTクラブをオープンしました。スタッフの中にAIへの関心が強いメンバーがいて、彼からは折に触れて生成AIの情報提供を受けていました。しかし、実際にクラブへ導入するとなると、そのたびに「まだ期待値には届かないな」という判断になり、見送りが続きました。
特に電子工作の分野では、その傾向が顕著でした。生成AIに頼るより、自分でコードを書いたほうが早い。2023年から2024年の中頃にかけては、「情報提供を受ける→試してみる→期待値に届かず落胆する」の繰り返しだったというのが正直なところです。

それでも2024年の中頃からは、少しずつ潮目が変わってきました。一部の分野で、AIに簡単な骨組みのコードを書かせて、そこから手作業で肉付けしていくという使い方を試し始めています。丸投げではなく、あくまで「叩き台を作らせる」という距離感でした。
無邪気な好奇心の時代(2024年9月)
その情報提供を続けてくれていたスタッフが、満を持して2024年9月13日、第1回のAI講座を担当してくれました。テーマは「話題の生成AIに挑戦〜歌詞作って、曲作って、キャラ作って、歌わせよう〜」。生成AIで歌詞を作り、曲を作り、画像を作り、最後にミュージックビデオまで仕上げるという内容です。
メンバーが書いた歌詞には「死ねば楽になる」「野口英世が大やけどをした」といった、なかなかの言葉も混ざっていました。出来上がった曲を画像に合わせて聴いたとき、現役の女子高生スタッフが「めちゃ上がりました」と驚いていたのを覚えています。この頃はまだ、生成AIは「こんなことまでできるんだ」という、純粋な驚きと好奇心の対象でした。


「ウソをつく」を、メンバーが実践で知った(2024年10月末〜11月)
好奇心だけでは済まなくなったのが、2024年11月8日の太子プログラミングクラブ5回目です。メンバーが生成AIに「オリオン座を描くプログラム」を書かせたところ、画面中央付近にオリオン座らしきものは出てきたものの、三ツ星が縦になっていたり、実在しない星座が混ざっていたりと、求めたものとはとても言えない結果になりました。
生成AIがアウトプットしたコードを手直しするのは人間です。人間が求める最終形に近づけるには、やはりプログラムを学んでいないと不可能なのです。
このころ、そう書きました。文部科学省が出している生成AI利用に関するガイドラインにも触れながら、「生成AIはウソをつくことがある」という事実を、実物の失敗例とともにメンバーに伝えました。


防衛的な意義の再主張(2024年11月〜12月)
この時期、電卓プログラムを作るシリーズに取り組んでいました。2024年12月13日の記事にはこう書いています。
わたしも答えを知っているわけではありません。『おそらく、こんなコードになるだろうな』というのが頭にあるので、詳細を調べながら、試しながら作っています。
生成AIに聞いて、電卓プログラムができたところで、それはまったく価値がありません。生成AIがまともに使える答えを返さないときでも、自ら答えを導き出せる力を養いたいのです。
生成AIへの警戒が強まったこの時期、わたしたちが繰り返し自問していたのは「生成AI時代に、クラブという集団学習の場に何の意味があるのか」ということでした。AIに頼れば答えが出るように見える時代に、あえて仲間と一緒に、遠回りしながら手を動かす価値は何か。この問いへの答えを、まだ十分には持てていない時期でした。


転機、そしてカリキュラムへの統合(2025年〜2026年)
一大転機は2025年5月でした。『#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』(大塚あみ著、日経BP)を読んで、コーディングを全面的にAIに任せられそうだという手応えを得たのです。実際に、20日連続で1日ひとつ、簡単なアプリを作ってみました。この経験を通じて、コーディングという分野において、生成AIがついに期待値を超えてきたと確信しました。
ここから、生成AIはクラブのカリキュラムに本格的に統合されていきます。
まず、大規模言語モデルの仕組みそのものを、体系立てて教えるようになりました。2026年6月の記事では、こう説明しています。
よく私が説明するのは、AIはあなたの鏡だということです。AIがポンコツな答えを返すのであれば、その理由はあなたの問いかけが悪いからです。逆に、AIが期待通りにすべて答えてくれるのであれば、それはあなたの問いかけが優れているということです。

「バイブコーディング」という言葉も、この時期に定着しました。2026年1月の記事では、その中身をさらに精緻に整理しています。「チャット型のAIを使ったコーディングだと、レースゲームを作るのになかなかうまくいきませんでした。エージェント型のAIエディタが強力だと聞いて、お試しでレースゲームを作ることにしました」。チャット型のAIとAIエージェント型のエディタでは、できることが違う——この使い分けを、実際に手を動かしながら学んでいきました。


品質への向き合い方も変わってきました。2025年7月の記事のタイトルは、率直に
脳筋コードはやめましょう
というものです。
ただし、プログラムの品質までは良し悪しを判断してくれません。メンバー自身が言っていたとおり、脳みそ筋肉の力技で解決したプログラムは悪いプログラムです。可読性・保守性が著しく悪くなります
脳筋コードを修正することはできなくても、気持ち悪いと感じるのはいいことです。
同じ7月には
生成AIに丸投げでプログラムが完成するわけではない
というタイトルの記事も書いています。AIが書けることと、AIに丸投げしていいことは、別の話だということです。


そしてこの時期、もっとも率直に書いたのが2025年6月の記事だったかもしれません。
自分で生成AIを使わせていて思うのが、プログラムを教えるだけなら、生成AIの方が優秀です。生成AIを先生に、自宅で本を読みながら、独学でいくらでも上達できます
教えるだけの塾や教室が淘汰されるのが見えます。
わたし自身がそう認めた上で、こう続けています。
では、クラブの存在意義とは何か。太鼓を大きく叩く力をつけてあげることだと思います。


実践知の結晶:SEになろうプロジェクト(SEPJ)
こうした試行錯誤の集大成が、「SEになろうプロジェクト(SEPJ)」です。プログラミング言語の文法を覚えることをゴールにせず、現実の課題をどう分解し、どう仕様に落とし込み、どう形にしていくか——まさに「SE(システムエンジニア)」の仕事そのものを、メンバーに体感してもらう取り組みです。
第2弾は、太子町社会教育課からいただいたお題「レクリエーションゲーム『ぼうじぃ陣取りゲーム』のデジタル化」に、2025年12月から2026年3月まで、全4回にわたって取り組みました。

第1回では、いきなりプログラミングから始めることはしませんでした。9人のメンバーを3班に分け、まずは実際に「ぼうじぃ陣取りゲーム」をプレイし、説明書には書かれていない細かいルールやプレイ感を、自分たちの言葉で書き出していきます。この「言語化する」工程こそ、プログラミングにおいて欠かせない力です。

第2回では、まとめた仕様をもとに、生成AIにゲームを作らせてみました。メンバーから飛び出したのは
クソゲーだ!!
という率直な声。ここで終わらせないのがSEPJらしいところです。「なぜクソゲーだと感じるのか」を一つひとつ言語化し、問題点・改良点を洗い出していきます。さらに、すべてを一度に直すのではなく、「ゲームとして成立するために絶対必要な機能」から優先順位をつけて手を入れる、バリュー・エンジニアリング(VE)の考え方も実践しました。


第3回は、AIと一緒に作る難しさと、お客様からの厳しい声に向き合う回になりました。操作役とAIへの指示(プロンプト)役に分かれ、交代しながら修正を進める「バイブコーディング」にも挑戦。指示をどれだけ的確にしても、AIとの解釈のズレは必ず生まれること、そしてロジックとしては正しくても「ゲームとして面白いか」はまったく別問題であることを、身をもって体験しました。この日はさらに、今回のテーマをくださった依頼主も来場し、率直で厳しいご意見をいただきました。依頼主から直接フィードバックを受けるという、これもまた貴重な経験になりました。


第4回で、見た目や操作性など細部のブラッシュアップを行い、最終形について太子町社会教育課の方と打ち合わせを行い、いただいた要望も反映しました。


全4回を経て、ゲームはほぼ完成。細部を仕上げて公開に向かい、兵庫県太子町のホームページにて公開されています。
このプロジェクトでしか得られないもの——それは、教科書通りに進む課題ではありません。
- 自分たちの言葉で要求をまとめること
- AIに作らせた一発目の出来に向き合い、問題点を洗い出すこと
- 限られた時間の中で、何から直すべきか優先順位をつけること
- AIと人間の意図のズレ、「ロジックは正しいのに面白くない」というジレンマに直面すること
- 実際の依頼主から、厳しくも本物のフィードバックを受けること
これらはすべて、「プログラミングが書ける」だけでは経験できないことです。
光都ICTクラブが大切にしているのは、「技術を覚える」ことの先にある、「技術で課題を解決する力」です。これは、これからの社会でますます求められる力だと考えています。

「車をつくる人」から「車を使いこなす人」へ
ここまでの歩みを、ひとつの比喩で整理してみたいと思います。
これまでのプログラミング教育は、「自動車を作ろう!→コーディングで開発できる人になろう!」という発想が中心でした。全員が、自動車を一から作れるエンジニアを目指す、というイメージです。
しかしこれからは、二極化していくと感じています。最先端のプログラミングができる人は、新しく開発する人——いわば自動車メーカーです。一方、生成AIでプログラミングする人は、サービスやものをつくる人——バスの運転士、タクシー、貨物など、仕事で自動車を使う人にあたります。
だとすれば、仕組みを知っている人、つまりプログラム言語を多少でも読める人は、運転の仕方そのものが変わってきますし、トラブルが起きても対処しやすいはずです。

2026年2月の記事で、こう書きました。
私の見解は、『プログラムを0から書くことは不要になりそうだ』というものです。ただし、プログラムを読むことは残るでしょう。AIが意図通りのコードを出力したかどうかは、コードを読まないとわかりません。その意味では、写経の意味が変わってきたかもしれませんね。


0から書く力より、読んで理解し、トラブルに対処する力。これが、これからのプログラミング教育がまず届けるべき価値だと、わたしたちは考えています。
まとめ
2022年12月の、期待値に届かなかった最初の試用から、2025年5月の転機、そして太子町公式サイトへの掲載まで。この4年弱の歩みは、平坦なものではありませんでした。好奇心、警戒、防衛的な反発、そして両義的な理解——生成AIへの向き合い方は、その時々で揺れ動いてきましたし、これからも揺れ動き続けると思います。
だからこそ、この記事は完成形ではなく、現在地の記録として書きました。今後も、現場での気づきに応じて更新していくつもりです。
学校・公民館・自治体・企業で出前授業をご検討の方に向けて、過去の出前実績は以下のページでご紹介しています。
こうした試行錯誤の記録も含めて、実際の講座メニューや費用感は下記にまとめておりますので、あわせてご覧いただければと思います。


